コンセプト推敲してみました

あなたは、排泄の感触を意識して感じ取ったことはあるでしょうか。
私たちは、普段の生活の中で身体の感触を意識する機会はほとんどありません。
なぜなら、いちいち意識していては生活に支障が出てしまうからです。
しかし、私たちは自分自身のもつ様々な身体の感触を良く知っています。
また、他人に触れることで感じる人間という生き物の感触を。
それは生暖かいものかもの知れません。または、叩くと粉々になるようなガラスや、
水のように手の中をすり抜けるほど抵抗感のない存在でもなく、湿り気を含み艶かしく、
しかし滑稽でなんとも言葉にしにくい、鈍く柔らかいそんな感触かもしれません。
熱い飲み物を飲んだ時の喉から胃を伝うあの感触。そして、
じわっと胃へと広がる液体の感触を通して、私はそこに胃があることを、
胃が私の中で活動していることを意識するのです。
私たちは、日常生活においてこのような、身体の持つ様々な感触を、
お互いに口に出して確認し合うことはありません。
しかし、私たちが普段無意識に体験しているこのような感触を、
私はインタラクションという手法を用い、色、形、動きを用いて外在化することで、
ユーザビリティーを考慮したインターフェース」ではなく、
「口に出すのもはばかられるような、ちょっと恥ずかしい、
しかし確かに感じる人間の感覚領域を共有、
共感するためのインターフェース」として提案します。
この作品では、体験者が作品を通して、
自分の身体の感触を意識し新鮮に感じ取ってもらうことを目指します。

柿の実

か細い枝の間にまんまるとよく実った柿の実が浮いている。
遠くから見ると、本当に赤い転々が青空をバックに散りばめられているのです。
葉を全て落として、丸裸になった枝にもうちょっとで落ちるか落ちないかのバランスで、かろうじて枝に垂れ下がる実を見ていると、なんだかドキドキしてしまう。
生命の一端を見たような気分です。

質の格差?

最近感じたこと。
買った本を半分くらい読んでみて、あ〜これはWebでもありそうだ、となんか損した気分になったこと。
もう一つは、作品タイトルを考えるにあたり、Webの辞書で色々検索したり、翻訳したのだけど、やっぱり最後は図書館の分厚い英和辞書で確認してしまったこと。
だいたいの映像はYouTubeでことすむが、お金をだして買いたいDVDもないわけではない。
お金をかけないものとかけるもの、これからはその見極めが消費者も作り手もますますシビアになっていくような気がした。
分厚い英和辞書のその物質的厚みは信頼の証なのである。

修士制作 たたき台

 私たちは普段服を見にまとい、人工物に囲まれて生活している。歴史において人間が人間として認識された時点から、私たちは動植物の住む自然界を後にして、自ら作り上げた、住みかや道具に囲まれる生活を始めた。
 人々は言葉を用いてコミュニケーションをする代わりに、直接触れ合う機会を失った。やもすれば、現代の私たちは物にさえ触れる機会さえ失いかけている。自動ドアや洗面所で手を洗う時、トイレを流す時など例を簡単にあげることができる。
 人間はいつしか自分も生き物であることを忘れ、まるでこの固いテーブルや、もの言わぬペンのように、自分も無機質な物質のような気になってはいないか。私が自分を温かさを持った生き物であると気づく瞬間は、生理の時か、sexの時くらいだ。
 人は普段生活している中では、人間の感触を意識する機会はほとんどない。なぜなら、いちいち意識していては生活に支障が出るからだ。誰が毎日の排泄の感触を堪能しようものか。
 しかし私たちは、誰でも知っているのである。私自身のもつ様々な感触を。もしくは他人に触れることで感じる人間という生き物の感触を。それは生暖かいかもしれない。固くはないけれど溶けそうなほど柔らかくもなく、湿り気を含んで艶かしく、滑稽でなんとも言葉にできない、そのようなものかもしれない。余談だが、二時間サスペンスの犯人が被害者を後ろから石もしくは灰皿などで殴るシーン。あのシーンに出会う度に、あのなんとも言えない鈍い感じは、あれこそ生き物の感触だなあと思ってしまう。私たちは言葉にすることのない、多くの感触を既に知っているのである。
 熱い飲み物を飲んだ時の、喉から胃を伝うあの感じ。熱を持った液体が喉を通って胃へと流れ込む時の喉の収縮感とでもいおうか、そしてじわっと胃へと広がる液体の感触を通して、私はそこに胃があることを、胃が私の中で活動していることを意識するのである。
 この作品に触れることで、人々は、まだ言葉にされていない多くの感触があることに気づくでしょう。身体のリアリティーをテクノロジーを用いて仮想空間で再構築することは、なんだか矛盾を感じるかもしれないが、このようなインタラクションを用いることで、初めて実現できた表現だと私は思っている。
 「ユーザビリティーを考慮したインターフェース」ではなく、「口に出すこともはばかられるような感覚領域」を共有、共感するためのインターフェースとして、私は現在のインターフェースに対するデザイナーの見方に対する少しの批評を交えて、この作品を提示します。
 私たちは、日常生活においてこのような感触があるということを、お互いに確認することはない。しかし確実にあるのです。私はこの感触を自分自信で意識し、インタラクションという形で色、形、動きを用い、外在化することにより、普段口にだすのもはばかられるようなちょっと恥ずかしい、だけど確かに感じる人間の感触を共有、共感するために作品制作をしました。

地球の自転を感じる

人の認識を大きく変える体験に時々出会う。
最近で一番、感動したのは、前期の授業の際、
天体望遠鏡を使って太陽を見たことです。
といっても、まさか直接覗くわけにもいかないので、
望遠鏡を通過した太陽光を紙に当てて見たわけですが、
思っていた以上に、A4の紙の真ん中にあった太陽は、
みるみるうちに、紙からはみ出てしまう。
これは、地球が自転しているためなわけなのですが、
それを実際に目で見るという体験は、結構感動的なものでした。
ただ、立っているだけでは、決して感じることのできない
地球の自転というものを、意識することができる。
これは、動物が赤ちゃんを産むシーンを見たときと同じような
なんか、あー自分は生きているんだ、とか宇宙の一部なんだとか、
外部から見えない力で絶えず私は、動かされているんだ、
私と宇宙をつなぐスケール感、
といった認識を私に経験として与えてくれた出来事でした。

自転って想像した以上に動きが速くて、
紙に映し出された太陽を追いかけながら
地球の自転を意識してみると、
なんだか酔ってくるような気までしました。

こんな風に人の認識を変える作品が
作れたら素敵だなあ。