出会いと別れの季節ですね

アルバイトをしていた日本デザインセンター原研究所の
社員の方が二人おやめになるということで、
送別会にお邪魔してきました。
出会いがあれば別れもある。
私も明日から社会人です。
医学の専門書を扱う出版社のデザイナーです。
デザイナーは
私の他に同期の男の方が一人と
上司になる方が二人なので基本デザインは全て行うってかんじに
なるんだと思う。
明日から社会人だからがんばるぞっていう感じではなく、
私的にはいつも通りがんばる。
そんな気持ちです。
なんか環境は変わるけど私が突然明日から変わるわけでもなく。
昨日の帰り一瞬鬱になったけど、今はいたって普通。
仕事も楽しみだしがんがんやって医学書では
いい本作るって言われるくらいまでがんばりたい。
それは時間かけてやっていきたいことで、
今はさっきひこと一緒にやろうって決めた
プロジェクトをはやくやりたくてたまらない。
どうしようもないな。
こんなかんじで毎日日記を書いて行くのだ!
やると決めたら今からやるがモットーなので
日記を続けようと妄想したのでここ二、三日書いてみてる。
よし明日は六時起きだからねよっと。

ドラえもん映画を一緒にみた日

00:54 | 編集

今日はひこと

『映画ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』 を見に行った。

一緒にドラえもん見てくれるなんて太っ腹な彼氏です。

でも意外と終わった後話がもりあがったきがする。

子供向けとはいえかつては自分もドラえもんの虜だったわけだし、

作っているのは大人だし、見るべきところは色々とある。

高校生のころは毎年友達と春休みにドラえもん映画を見るのが恒例だった。

大学入ってからは行ってなかったけど、

久しぶりに映画館で見た。

もちろん他の作品は全部見てるし、

宇宙開拓史もリメイク前のを見てる。

ひこは漫画で子供の頃読んだって言ってたな。

私的にはオタクアニメでもなく、

ジブリみたいに芸術に高めてるでもなく

そんなポジションなドラえもん映画が面白いなと。

来年も絶対行くぞ!

あとは、ファミレスで昨日の朝顔日本画の話が

セザンヌの書き方に似てるっていう話とか、

簡単な作品とかアプリケーション作りたいねとか

私はちっちゃいタッチパネルを並べて作品作りたいとか

そんな話をした。

ちっちゃいタッチパネルはiPodでいけるかもと帰りに思いついた。

一台3万円弱だけどそのうち安くなるかもだし!

なんか楽しくなってきた。

ひこは本当に私の良き話相手だ。

おばかなことも一緒に真剣に話せる大事な人。

おばかといえば、足と脚の違いについて30分くらい話てて

でも結局結論でず。

レッグは脚?とフットは足?とか手と腕の関係で言うと、、、と。

ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/

を見ると

形態学的に人の足は踝(クルブシ)辺りから末梢端接地部までを指して呼んでおり(foot)、

人のそれに限らず末梢端を「爪先(ツマサキ)」、

表体部上面を「足の甲」、裏体部を「足の裏」または「足底(ソクテイ)」、

表裏部下端を「踵(カカト)」又はきびすと呼ぶ。

また接地部より上に向かうに当たって

足首、脛(すね)、膝、腿(たい、もも)といった部位に分けられており、

脚と比べて頻度は低いが腿までを含み足と呼ぶ事がある。

また便宜上、同じ音を持つ「脚」という漢字を当て腿以下下肢全体を指して呼ぶ事がある。

ということらしいですね。

爪先は爪の先なんだ。

ね、ひこさん。

日本語むずかしい。

話はどんどんずれたけど、特にまとめません。

そんなかんじの今日でした

卒業

3月19日に武蔵野美術大学の大学院を卒業しました。
式では大学院代表で壇上で卒業証書を受けとるという
なんとも運のよい経験をさせていただきました。
まさか自分が壇上に上るなんて思ってもいなかったけれど
親孝行できてよかった。
修了制作作品も優秀賞をいただき、
親が喜んでくれたことがよかったなあと。
本当に浪人までして、美大なんて絶対
学歴イコールお給料とは結びつかないというか
こんなお金かけてもらっても
はたして還元できてるのかしらってかんじだし。
だからせめて賞というかたちで何か成果が見せられてよかったなと。
これから社会人になるけど、
学生時代がよかったなあと思わないような生活をしていきたいな。
常に今が一番良い、過去は振り返らないというか
過去にあまり興味がない性質なので
今後もマオペースにマイブームを追いかけて
やっていきたい。

さっき読んだ装苑3月号の
松浦弥太郎さんのインタビュー記事でが共感できたので
書き留めます。

できる仕事人よりも、個性あふれた生活者であってもらいたい。

植物を育てるってどうゆうこと?!

今日見ていたお宝鑑定団で出てきた日本画家が
朝顔の花壇を作って、
それも最高に自分が良いと思う配置というか姿というか
にしてからそれを書き写して日本画の作品にしていた。

それを見ていたら、なんとなく不思議になった。
これってどうゆうことなんだ?と。
自分が最高と思った花壇を作って、

それが作品です。でもなく
それを写真に撮るでもなく。(当時は写真はなかったかも)
そんなことを考えてたら、

なんか植物を育てるって行為と作品を作るって行為から
何か新しい関係を作り出すことができるんじゃないか?と

造園師っていうより普段何気なく育ててる植物。
考えだすときりがないけど、

育てる人と植物の関係ってなんかどうなんだろう?
すごく大事に育てて愛情を注ぐ育て方もあるけれど、
うちの親とか別に愛でるでもなく、
育てることで花が咲くことを楽しむでもなく
なんかもらっちゃったし、枯らせたらかわいそうだし。
みたいな感じで育ててて、
そうゆう場合の育てる人と植物の関係って不思議だなと。

育てる人の心理では、笑うせーるすマンにそうゆうネタがあったな。
あとは、ひこの作品で芽がでるまで待つっていう立て札たてて
じっと座って待つ作品とかね。
ヒントになるかな。
とりあえず続きは明日ひこに話して考えようかな。
本当に考えだすときりがない。

気持ちはいつも前のめり

6月で26歳になる。
25年生きてみてやっと最近今までと心持ちが変わってきた。
生きるってこうゆうかんじなんだなという
リアリティーみたいなものがじんわりと感じられるようになった。
それと同時に今まであれにもなりたい、これにもなりたいみたいな
未来への明るい希望、それもかなり漠然としたでも輝いてる。
みたいなも希望に対する現実みたいなものが見えかくれして
絶望感と焦りが生まれてきた。
もう80年のうち25年も使っちゃったじゃん!みたいな。
あれもこれもやりたいのに、実際ってむりなの?みたいな。
ググっと現実に引っ張られている今。
あさってから社会人ってのもあるのかな。
本当にゲームでリセットして色々な人生楽しむとか
できたらいいのに。
こんなこと書いたら25なんてまだまだヒヨッコだって
思われるかもしれないけど、
これから今以上に時間を大事に効率よく
そしてやりたいことは片っ端からやるくらいの気持ちじゃないと。
死んでも死にきれない。
最近こんなことを考えてます。
きっと10年後とかこれ見たら若いなあとか思うんだろうな。

モホリ・ナギ

われわれは決して
説明を通して芸術を経験しない。
解釈と分析は
よくて知的な準備として役立つにすぎない。
けれども、それらが
芸術作品と直接に触れ合うならば
われわれは鼓舞するだろう。